2018年7月10日火曜日

プロ倫

プロ倫

プロ不倫ではないよ。




マックスヴェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の略称であり、おそらく経済学部を出身の読者の方は「プロ倫」でお馴染みなあの有名な著書だ。

私も経済学部ではないが、大学時代プロ倫を読んでいた。


掻い摘んで言うと、資本主義はキリスト教の一派の教義である「予定説」に従い生まれ育って来た。予定説とは、人は生まれながらにして救われるかどうかが決まっており、現世での労働や禁欲等、自分を律することがその証明となる...と言う教義である。(間違ってたらごめん。当時はそう解釈した。)

「何か行えば、行いさえすれば救われる」と言うものではなく、「答えは死ぬまでわからないが、自分を律することが私はできている...つまり救われる...」と考える。
つまり、自分を自分で査定し、まさに律する必要がある教義なのだ。

周りからどう見えるかは関係ない。評価行為も評価基準も自分で決めることになる。これは、他の教義とは一線を画す。本当の意味で、自分を律する必要がある。


禁欲を行うことで、あらゆる世俗的な魅力から遠ざかることになる。ひたすら労働し、女を買うことをやめ、酒をやめ、ギャンブルをやめた。するとどんどん資産が増える。この資産は卑しいものなのか?いや違う、禁欲の果てに生まれた財産だ。神は許す。


こうして、資産が形成されていった。


今はどうだろう。労働による資本形成が、莫大な富をもたらすだろうか?
予定説に基づく資本主義であろうか?

答えは否だ。資本はそれ自身が膨張していく。資本再投資をへて、まるで雪だるまのように。あらゆる労働者の人的資本を吸収しながら。
資本主義を盲目に信じる人は、それができた背景、崇高な理念から大きくかけ離れた現状を理解していない。



君は本当に資本家になりたいのか?
それには覚悟が必要だ。自分が他人様の人的資本を吸い取りながら、一方では心優しい姿を見せる面の皮の厚さが必要だ。

もう一度聞く。君は本当に資本家になりたいのか?
覚悟ができたら、さぁ、ゴールドへ飛び込め!

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