小学生ながら、その鮮烈なデビューと歌声、美貌に驚嘆していた。
Ayuと結婚したい。
そう思っていた。
当時は鈴木亜美(アミーゴ)と人気を二分しており、小学生の私はAyu派の急先鋒としてアミーゴ論者を駆逐することに余念がなかった。オリコン一位になった曲数、シングル売上枚数、声域の範囲、二重の幅、髪の色、おっぱいの大きさ、曲のタイトルが全て英語、CM出演本数...etc
戦える武器(情報)はなんでも仕入れ、アミーゴ派は己の無力さに意気消沈とし、次々とAyu派に鞍替えしていった。そうして私の学年は圧倒的にAyu派が多数派を占めることとなった。
私は満足だった。みんながAyuを認めた。日々充実していた。
だが何故だろう、一向にAyuが目の前に現れない。「Ayuの為にありがと♬」くらい目の前に来て抱きしめてくれてもいいのだが、Ayuは現れない。
そう、あまりにも二人の間には距離があった。一人はギャルに絶大な人気を誇る日本の歌姫、もう一人はいくらでもいるそこらへんのサッカー少年である。
「Ayuとは結婚できないんだ...」
現実を理解するのは、そう時間はかからなかった。だが同時に、邪悪な思いが芽生えた。
「Ayuが年取っても独り身だったら、若いボクと結婚してくれるんじゃないか・・・?」
そう、若い彼はAyuをナンピンしようとしたのである。
こうして20年たった今、私はAyuをナンピンしていない。それどころか、同い年の巨乳美女と結婚して子どもまでいる。
何故か。それは、Ayuが劣化してしまっていたからだ。
時は無常で、全てを無残に劣化させてしまう。
なんなんだあの体型は。
なんなんだあの歌声は。
そう、もうかつてのAyuはいないのだ。今のAyuはAyuではない。
これは、投資の世界でも同じことが言える。
今欲しいか否かなのだ。
価格がここまで下がったら買う...だ?
ふざけるな、その価格には意味があり、下がった価格にも意味がある。
価格が下がったということは、それ相応の劣化が生じているということだ。
まるでAyuのようにね...
それではお聞きください。
浜崎あゆみさんで、「July1st」
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